風景印巡検を開催しました。

ご無沙汰しております。「あおいだるま」です。

無事に新入会の会員を迎え、鉄道研究会は会員数50人に達する規模になりました。

(子細については、今後掲載いたします続報をお待ちください。)

今後ともお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。

 



 

さて、去る2015年4月30日に鉄道研究会の会員有志4名にて「風景印巡検」を開催しました。

「風景印」とは各地の郵便局に配備されている「記念消印」の一種で、消印にはその郵便局近辺の名所旧跡等にちなむ図柄が描かれているという特徴があります。

 

▲(写真0)風景印の例(横浜市中区の5局)

△(写真0)風景印の例(横浜市中区の5局)

 

当会々員の中には、この「風景印」の収集を趣味とする者も少なくありません。

そこで、今回は同趣味の会員で「横浜市中区」の風景印の収集及び「鉄道史跡」の散策に行ってきました。

 

今回の集合は、JR根岸駅。ここを起点に中区内22局と周辺区内にある3局の計25局を巡ります。 また、その道中に存在する「鉄道史跡」も巡っていきます。

 

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    根岸駅から東へ約3km。名勝「三渓園」に隣接して「本牧市民公園」があります。 ここには、横浜を走った蒸気機関車、D51-516号機が静態保存されています。

 

D51-516

△(写真1)D51-516の前で記念撮影

 

 

また、このD51の奥には旧横浜高島機関区で利用されていた転車台も保存されています。 以前は、横浜市電1205号車も保存されていましたが、ずいぶん前に撤去されたそうです。

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保存車を見た後は本牧や横浜市電の走った山手隧道(麦田のトンネル)、麦田車庫跡を眺めつつ郵便局を巡り、山元町へと向かいました。

山元町と言えば、横浜市電で最後まで車掌が乗務していた3系統の終点「山元町電停」があった地域です。

3系統は横浜市電全廃の前年まで走っていましたが、廃止から40余年。面影も少なくなっていました。

山元町電停跡

△(写真2)山元町電停跡。 電停跡は「バスベイ」となった。

 

▲(写真3)山元町電停の次、打越電停付近。廃止代替バスの103系統が坂を上ってくる。

△(写真3)山元町電停の次、打越電停付近。廃止代替バスの103系統が坂を上ってくる。

 

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山元町電停から市電3系統の廃線跡をおおむね辿りつつ、風景印を収集していきます。

そして訪れたのが「横浜中郵便局」という郵便局でした。

△(写真4)横浜中郵便局 風景印

 

こちらの郵便局の風景印は、横浜市営地下鉄が描かれています。

市営地下鉄ブルーラインのうち、桜木町~弘明寺の区間は市電10系統と重複する区間だったりします。

(実際の建設目的については、廃止代替云々以上に理由があるのですが… 細かいことは別の機会に)

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中郵便局周辺の風景印を集めた後、横浜の中心地「みなとみらい・関内・元町」地区に向かいました。

▲(写真5)みなとみらい21地区

△(写真5)みなとみらい21地区

現在観光地である「横浜みなとみらい地区」ですが、30年ほど前までは造船所跡地だった場所です。

ランドマークタワーの下にある鉄橋から、右側に見えるウッドデッキの方を通過し、現在の赤レンガ倉庫に向けて、過去には貨物線が伸びていたと伝えられています。この道は「汽車道」という名前が付けられています。

みなとみらい地区を小一時間散策して、中華街にて昼食を採りました。

▲(写真6)昼食の一例。私は卵とエビのチリソース炒めだった。

△(写真6)昼食の一例。私は卵とエビのチリソース炒めだった。

昼食後は再度、関内まで戻り市庁舎周辺の風景印の収集を行いました。

行程は順調で、当初の予定よりも20分速く桜木町駅に到着。

その後は横浜駅まで移動し、16時20分に解散となりました。

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「横浜市中心部の風景印をもらいに行くついで」としての史跡めぐりではありましたが、横浜市内の交通に関する歴史を感じる事が出来る場所が多く、非常に勉強になる巡検となりました。

最後になりますが、参加者の皆様お疲れ様でした。

次回は夏休み(8~9月頃)に開催を予定しております。

< 次回に続く >


[ 参考資料 ]

・ 長谷川弘和(2001)『横浜市電が走った街 今昔』JTB

・ 長谷川弘和(2004)『横浜の鉄道物語』JTBパブリッシング

・ 横浜都市発展記念館(2012)『横浜にチンチン電車が走った時代』 横浜都市発展記念館