2013年4月に投稿された記事の一覧

ニコニコ超会議号・新津工臨返空など運行

154-1 154-4 154-3 154-2 こんにちは、編集のしらさぎです。 4月27日に撮り鉄をしてきたので報告します。 この日は、ニコニコ超会議号や新津工臨返空などの設定がされていた為、高崎線内は祭でした。そこで、始発の新幹線で熊谷駅へ行き、熊谷界隈で撮影を試みようとしました。しかし、前日組の置き三脚が既に大量に置かれている状態、ベストポジションは既にありませんでした。なので、行田駅周辺へ移動してみると、意外にも撮影地が空いていたので、そこで撮影することに。 この撮影地の完全順光になる時間帯は正午前後なので、朝は前面にしか光線が当たりませんが、まぁまぁ上手く撮影出来たので良かったです。欲を言えば、EF65 1118のロンチキは飽きるほど撮影したので、普通の国鉄色で運行して欲しかったです(笑) しかし、この後、高崎線に大幅な遅れが起き、貨物列車が中々来ない状態に・・・ 1時間以上待っても来ないので撮影を切り上げ、グリーン車で横浜駅まで撤収しました。

2つの「終わったもの」②

156-1 156-2 こんにちは。今回の自分が書くBLOGは前回に引き続いて、3月31日(日)をもって‘さりげなく’終了したJRの2つのもの、今回は『オレンジカード(以下:オレカ)』を書きたいと思います。 国鉄(当時)の「オレカ」は、1985年3月に関東圏で発売を開始し、その後全国へと広がりました。きっぷを買う際に『小銭がいらない』というのは、当時画期的なことで、その後のICカード等といったものの先駆けでした。発売開始から2年後、国鉄はJRグループに民営化されますが、発行は引き続き行われ、各社からはオリジナルデザインのカードが多数発行され、「収集鉄」にとってはうれしいものでした。 JR東日本の関東圏では、1991年に「イオカード(以下:イオカ)」なるものが発売されるようになりました。「オレカ」では券売機で切符を買わないといけない手間がありましたが、「イオカ」では改札機に直接投入でき、切符を買う手間も省ける便利なカードとして瞬く間に普及しました。同じような仕組みのカードは、JR西日本「Jスルーカード」など同じJRグループにも導入され、「オレカ」は少しずつ存在感が薄くなり始めていました。それでも、「イオカ」などが使えない地域を中心に「オレカ」は重宝されていました。 大きな転機が訪れたのは2001年。JR東日本の関東圏で現在ではお馴染みのICカード「Suica」が導入され、首都圏から「オレカ」はフェードアウトしていきます。ICカードは首都圏から全国へと徐々に広がり、定期的に「オレカ」の新柄を発売するのは、最終的にJR北海道と四国のみとなりました。 そして、2012年4月からは首都圏での発売が終了され、今思えば「オレカ」発売終了の前兆でした。それから1年後の今年3月をもって、JRグループ全社で発売が終了しました。 このBLOGを読んで下さっている方は、恐らく「オレカ」をコレクションしていた方も居るかと思いますが、自分もその一人で、特にICカードが普及してきた2000年代以降も旅行先のみどりの窓口で「オレカ」を購入していました。膨大(?)なコレクションの中から、一部を紹介したいと思います。 一番左の画像の「オレカ」は、2011年の鉄研・夏合宿時に購入したJR北海道・登別駅のものです。元々JR北海道では「オレカ」を積極的に販売していましたが、この登別駅ではご当地モノが数多く発売されていて、「大人買い」してしまいました(笑)。 その隣の画像の「オレカ」は、今年の鉄研・春合宿時に購入したJR九州・門司港駅のものです。JR九州内であればどの駅でも買えるN700系の柄に加え、門司港駅ではオリジナルの駅舎の写真がカードになっていて、発売終了直前に購入することが出来てとてもうれしいものでした。 磁気式カードは私鉄でも発売されていますが、今は関西圏の「スルッとKANSAI」など、数える程になりました。ICカード普及の一方で、「収集鉄」にとってはさみしいものだと思いました。 ※写真の「オレカ」には当方にて斜線を加えています※

活動説明ご案内

当鉄道研究会では、サークルフェスティバルに引き続いて4月の終わりまで、本部室におきまして常時部活動説明を行っています。 休み時間や授業の空き時間に当会部室にお越しください。 また、サークルフェスティバルにおいでになられなかった方も大歓迎ですので、ぜひお越しください。 場所についてはこちら。 なお、時間帯によっては部員が在室していないことがあります。 その場合はまた後ほどお越しいただくか、下記メールアドレスまでご連絡ください。折り返しご連絡差し上げます。 メールアドレス komazawarailwayclub@yahoo.co.jp