こんばんは。今回は来年3月をもって相互直通運転を休止する東急東横線と東京メトロ(開業当時は営団)日比谷線との関係を、東急側の視点からコラム調で記していきたいと思います。
1961年、南千住~仲御徒町間開業を筆頭に、日比谷線は少しずつ距離を伸ばしながら全線開通を目指していった。翌年、東横線より一足早く東武伊勢崎線・北越谷までの直通運転が開始された。東横線との直通を開始したのは1964年8月。当時は北千住~中目黒~日吉間の直通で、現在に至るまで伊勢崎線を含んだ3社での直通はしなかった。
東急・東武が営団との直通運転を行うことは日比谷線が開業する前からあらかじめ決められており、3社での乗入れ協定も予め定められた。その時決められた協定の一つに「車体の長さ」がある。東武側からは一両あたりが20mの車両が提案された。しかし、営団が用地取得等の関係から、一回り小さい18m車を希望していたこともあって18m車が採用されることとなった。東急側も当時は18m車が標準であったこともあっての決定だと思うが、現在では3社とも20m車が標準になっているため、この時の東武は今思えば先見性があったと思う。もしこの時、日比谷線が20m車で運転されていたとすれば、東急との関係が途切れることは無かったと思われるが・・・。
当初の目論見は東急側が主体となるはずであったが、その予想ははずれ、東武側からの乗客が多くを占めるようになった。また、東武側の直通先の終点も北越谷から北春日部→東武動物公園と順調に延長(一部日光線・南栗橋始発電車もある)されたが、東急側が延長したのは桜木町(当時の終点)では無く、菊名までに留まり、それもあくまで日吉駅改良工事の影響での延伸だった。
しばらくして日吉駅改良工事が一段落すると日中に限って日吉までの運転に短縮されるが、データイムは1時間4本の運転が続いていた。しかし、東横線との直通に転機が訪れる。2001年に東横線に新種別「特急」が運転を開始する際にデータイムの運転本数が削減され、1時間に2本の体制に変わった。この頃から少しずつ、東急側からすればいわば「邪魔者扱い」されるようになりだす。
2007年には日吉駅改良工事の関係で再び日中も菊名までの直通に変更された。だが、東横線が副都心線との相互直通が決まるとファンの間から少しずつ日比谷線直通電車の処遇について悪い噂(=廃止)が広まりだす。
そして、その悪い噂がほぼ確信になるような出来事があった。2011年に発生した東日本大震災での臨時ダイヤ/節電ダイヤである。東武との直通はすぐに再開されるが、東急との直通が全面的に再開されるのは9月になってからの事だった。ラッシュ時のみの運転も4月下旬のことなので、軽視される状況が長く続いた。
また、日比谷線内での混雑が原因で平日朝9時台は東横線下り(横浜方面)の定時運行に支障をきたし、しばしば運転順序の変更が生じているなど、「邪魔者扱い」の思いは強くなっていたと思われる。
その後、2012年になってプレスリリースが発表。東横線と日比谷線との直通は2013年3月をもって廃止されることとなった。50周年目前での廃止。相互直通の先駆けである関係にもうすぐピリオドが打たれる。しかし、直通終了後の疑問も多く残る。まず、中目黒駅の管理。現在は日比谷線も含め東急の管理となっているが、直通をしないにも関わらず東急の管理が続けば珍しい駅になると思われる。また、日比谷線直通のために製造された1000系も東横線では使われなくなるため、車両の処遇も気になる所。それ以外にも疑問があるが、ここでは省略する。
あと半年ほど。最後までその走りを追いかけていきたい。
主観的な文章になってしまいましたが、東横線と日比谷線の直通廃止は個人的にとても残念です。ちなみに副都心線との直通開始後、渋谷~菊名間の東横線内折り返し運転が日中1時間4本ありますが、そのうちの2本が元々日比谷線直通電車の代わりになります。
写真は左から、かつてあった「日吉行」・非常時しか見られない渋谷駅でのメトロ03系・現在も運行する東急1000系・もうすぐ過去のものとなる、東急元住吉検車区での東急1000系とメトロ03系の並びです。