半世紀前の光景から

こんにちは,むらいるです。ご挨拶が遅れましたが,昨年より当会の会長(49代)を務めさせて頂いております。

大学はいよいよ春休みに入りました。連日寒い日が続いていますが,鉄研では寒さに負けず活動を続けています。

オータムフェスティバルでお馴染みの巨大レイアウトの整備や備品の整理などなど…こんな大規模な活動が出来るのは休暇中ならでは,というわけです。

そんな鉄研の活動風景は後日きっと広報担当の会員が載せてくれるでしょう。その前に春合宿が来そうですが……企画担当曰く合宿でも何やらイベントがあるようです。楽しみですね。

 

さて,今回は50周年記念事業について軽くご紹介してみたいと思います。

当会は1966年に創立された大学公認サークルで,来年2016年に創立50周年を迎えます。50周年という節目の年を迎えるにあたり,様々な記念行事を計画しており,一部は2013年から長期的な活動として実施しています。これまで実施してきた活動内容はこちらからご確認ください。

本番の年も来年に迫ってきており,今期より記念事業が本格的にスタートしております。会史の編纂や記念イベントの検討など,残された時間は長いようで短く,その中でどれだけ出来るかを見極めながら会員一同活動をしています。

そんな中,先日も当会設立当時のOBの方と打合せがあったのですが,その際に「玉電」の話題で盛り上がりました。

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△鉄研創設当時の駒大生の足だった「玉電」

現在の駒大生にとっての通学は,その多くが大学最寄駅である駒沢大学駅を通る東急田園都市線を利用するものとなっています。

しかしそれは今の話。今から半世紀前――鉄研が創設された頃は,現在の田園都市線にあたる新玉川線はまだ無く,前身である玉川線…「玉電」が主たる通学手段でした。

これは授業でも紹介されるほどメジャーな話ですが,当時を経験された方から直接伺う話は,どんな文献や授業よりも鮮やかなものでした。

交通渋滞に巻き込まれて渋谷駅まで小一時間を要した話,駒沢大学駅の設置をめぐっての署名活動の展開,玉電廃止後の渋谷駅のバスターンテーブル……今の私たちにとっての「当たり前」が当たり前でなかった時代は確かにそこにあったわけです。

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△下の時計こそ無いものの,看板自体は今も現役。

この他にも,とても今では考えられないようなお話を伺い,同席した会員一同ただただ驚くばかりでした。

玉川線が無くなって田園都市線に代わったように,時代が遷ろうにつれ,様々なものが消えて,新しく出来ていきます。この春には,大学6号館(体育館)が取り壊され,130周年記念棟の建設工事が始まります。

しかし,長い時を経てもそこに在り続けるものもあります。左写真はまだ「玉電」が走っていた頃の駒沢交差点です。道行く人々も車も玉電も皆かわってしまいましたが,駒澤大学の看板だけは今も当時のまま掲げられています。

私たちの日常の中の鉄道研究会が,次の50年を経ても在り続けるように,私たちはこの会を精一杯盛り上げていかねばならない…そう強く感じました。かつての日常の中に在り続けた駒澤大学の看板が,半世紀を経た今も高らかに掲げられているように――。

※記事中の写真は全て当会OBの方が撮影されたものです。記事掲載にあたりご快諾頂きありがとうございました。