3月11日の東日本大震災とその余震で亡くなられた方には心から哀悼の意を、また被災された方には心からお見舞い申し上げます。一刻も早く元の生活に戻られますことをお祈りいたします。
さて、去る3月27日、長野県北部を走る長野電鉄にて2000系A編成のさよなら運転が行われました。当初、この日は、事前応募の団体列車による運転が予定されておりましたが、地震の影響により、急遽、夏に引退予定のD編成と共に、27日の全特急列車を2000系で運転するというものに変更となりました。
長野電鉄2000系は、長野県北部への観光客・スキー客輸送を目的とし、1957年に、まず、A・Bの2編成が導入されました。名鉄5000系を参考にしたセミ・モノコック構造の車体や、WNカルダン駆動など、当時としては最新の技術を用い、大手私鉄の車両にも負けない優秀車として誕生した2000系は、その後、1959年にC編成が、1964年にはD編成が登場し、全4編成が出そろいました。このD編成は当初、名鉄7000系パノラマカーの影響で展望車とする予定でしたが、時期尚早とされ、同様の車体で製造されましたが、スカート装備・空気バネ台車等、相違点もあります。
こうして登場した2000系は、特急列車を主とした第一線で運用されました。1981年の長野線長野‐善光寺下間の地下化の際は難燃化改造等を施し、1989~1990年にかけて、冷房化・窓枠の交換等が行われました。車体塗装も、マルーン色、りんご色、赤とクリームの塗装と3回変更されました。同期の他社の車両が次々と引退していく中で、2000系は走り続けました。
しかし、登場から48年が経過した2005年、8500系の導入により、まずB編成が引退、廃車となってしまいました。そして、2006年の1000系の導入により、C編成が引退し、同時に、主力車両の座も明け渡しました。それ以来、B特急として走っていた2000系でしたが、2011年2月の2100系の導入により、2月11日にA編成が、そして25日にはD編成が定期運用から引退しました。そして、去る3月27日にA編成が完全引退となりました。なお、D編成は夏頃の引退を予定しております。
私にとって、2000系は小さい頃から見慣れた車両でした。2000系を見て育ったと言ってもいいでしょう。それが引退すると知った時、そろそろだろうなとは思っていましたが、さすがに寂しさは拭えませんでした。しかし、54・47年もの長きに渡って活躍できたのは2000系も幸せだったと思います。
最後に、2000系、ありがとう。
【写真説明】
左から、A・B・C・D編成